「とりあえず、こいつに名前つけようぜ」
そう提案すると、伊坂は「ああ……名前か」と呟いた。
「吸盤あるし、タコみたいだから……スルメとか」
「スルメはイカだろ」
即座にツッコむと、伊坂は目を細めた。
人を小馬鹿にする時の顔だ。
「細かいことはいいんだよ。な、スルメ」
伊坂のシャツの中で、もぞ、と何かが動く。
「……気に入ってるみたい」
腹のあたりに手を置いたまま、伊坂が言う。
そのまま、目が合った。
どちらともなく、笑う。
「なんか……」
言いかけて、言葉が止まる。
「なんか、ね」
伊坂もそれ以上言わない。
でも分かる。
同じことを思った気がした。
――夫婦の会話みたいじゃね?
その後、少しだけ変な沈黙が落ちた。
意識してしまったみたいに。
「最悪だよ」
伊坂は誤魔化すように笑って立ち上がる。
俺は少し遅れて立った。
目を合わせないまま。
――最悪、か。
俺はむしろ。
この状況がそうさせるのか、伊坂への気持ちは膨れるばかりだった。
教室に戻ると、いつもの昼休みの空気が広がっていた。
机をくっつけて話すやつ、丸めた紙でキャッチボールをして遊ぶやつ。
けれど、俺と伊坂が入った瞬間、数人がニヤニヤした。
「お、カップルだ」
「今日はどこでイチャついてきたの?」
「違うわ!」
反射的にツッコむと、横で伊坂が小さくため息をついた。
「お前のせいだからな」
「いや俺!?」
そんなことを言い合いながら席につく。
そのとき。
ぬるっ。
「……?」
机の下で、足首に何かが触れた。
スルメだ。
細い腕が、絡みついてくる。
ぺた、ぺた、と吸盤が肌に吸いついた。
「おい」
小声で伊坂を呼ぶ。
「スルメ出てる」
「え?」
伊坂の顔が一瞬固まる。
触手はそのまま、足をなぞるように動く。
くすぐったい。
……だけじゃない。
妙に感覚が残って──
「おい、ここじゃダメだって」
声を抑えて言う。
伊坂は周囲をさっと確認すると、椅子を寄せて距離を詰めた。
背もたれに肘をつき、俺と談笑している風を装う。
その影で、スルメの動きを隠す。
スルメは楽しそうに、俺の足をなぞっている。
完全に遊んでいる。
「……おい、スルメ」
小さく呼ぶ。
「今はダメ。あとで相手してやるから」
一拍、間があってぴたり、と止まった。
それから、するりと引いていく。
伊坂のシャツの中へ戻っていった。
やっぱり。
俺の言うことを聞こうとする。
そう視線で伝えると、伊坂は少しだけ眉を寄せた。
「なんで町田の言うことは聞くんだよ」
その拗ねたような言い方に、思わず口元が緩んだ。
「なに笑ってんだよ」
伊坂が睨む。
そのとき。
「やっべー、俺聞いちゃいましたー!」
隣の席のやつが、急に大きな声を出した。
「“今はダメ。あとで相手してやるから”って町田が!」
──あ。
「マジでそういう関係じゃん!」
「やば、昼間からかよ!」
周りが一気に騒ぎ出す。
「あー、もう!うるせー!」
頭をかきながら立ち上がる。
そのまま、からかってきたやつに飛びかかる。
気づけば、軽く組み合っていた。
笑い声と野次。
肩を押さえつけながら、ふと視界が揺れる。
そのとき。
教室を出ていく伊坂の背中が見えた。
声をかけようとして――
その一瞬で体勢を崩され、床に倒れ込んだ。
結局、チャイムが鳴るまで騒いでいた。
伊坂はいつの間にか席に戻っていて、なんとなく声をかけるのが躊躇われた。
放課後。
俺は図書室にこもった。
パソコンの画面を、ひたすらスクロールする。
赤いビー玉。
寄生。
触手。
それっぽい単語を並べて検索するけど、出てくるのはどうでもいい話ばかりだ。
「……何もねぇか」
小さく息を吐く。
椅子にもたれて、天井を見上げる。
静かだ。
今日の出来事全てが噓みたいに。
結局、今日はあれから一言も喋っていない。
そりゃ嫌だよな。伊坂からしたらさ。
ああやって、からかわれるの。
分かってたのに。
追いかければよかった。
なのに、目の前のくだらないことに流されて笑ってた。
「……バカだな」
ぽつりと呟く。
やっぱり俺といない方が、あいつは楽なんじゃないか。
そんな考えが、頭から離れない。
だから。
せめて理由がほしかった。
調べたって言えば、話しかける口実になる。
必要だって、思ってもらえるかもしれない。
俺じゃないとダメだって。
――思わせたかった。
でも。
結局、何も見つからない。
手を止めて、画面を閉じる。
静かな部屋に、自分の呼吸だけが残る。
「あの……」
声をかけられた。
顔を上げると、上級生らしい男子が立っている。
どこか警戒しているみたいに、机一つ分距離を取っている。
「もう、閉めますけど……」
「あ、すいません。今出ます」
パソコンの電源を切り、出口へ向かった。













