「おはよう」
廊下で目が合った女子たちが、少し照れた声で挨拶をしてくる。
軽く笑って返すと、隣の子と顔を見合わせて、ひそひそと何か言い合った。
そういう反応は、正直嫌いじゃない。
むしろ、少しだけ気分がいい。
教室にいれば、他クラスの女子がわざわざ訪ねてくる。廊下ですれ違っただけの相手が、何かの用事を装って声をかけてくることもある。
遠くで、僕の名前が出るたび、いろんな言葉がついてまわる。
「かっこいい」「イケメン」「あの俳優に似てる」「優等生」
僕に貼られた数々のレッテル。
砂糖やはちみつみたいに甘くて、確かに心は満たされる。
なのに、なぜか長くそこに留まっていたくはならない。足が、無意識に逃げ場を探している。
たまに、「言うほどかっこよくないね」なんて言う子もいて、そんなときはほんの少し胸がチクリとする。
だけど、そういう子に限って、僕が笑顔で話しかけると、次の日から声のトーンが変わることを知っている。
「中川くん、モテますねぇ」
机に顔を伏せていた僕に、横の席の石橋達也がにやにやしながら話しかけてきた。
顔を上げると、彼は教室の隅を顎で示しながら笑う。
「中川はさぁ、好きな子とかおらんの?あの中やったら誰がタイプ?」
石橋は悪いやつじゃない。
ただ、こういう風にデリカシーに欠ける部分があって、それをたまに鬱陶しく感じることもある。
周りの空気が、わずかにこちらの会話に関心が向いていることを感じる。
僕はわざとらしく息を吐いて、あらかじめ用意しておいた答えを口にした。
「恋愛のこと、俺に言われても分からん。男といるほうが楽やし」
それは本心だった。少なくとも、そう言ってしまえば話は終わる。
──でも、その言葉を言うたびに、どこかで引っかかりを感じる。
女の子にまったく興味がないわけじゃない。
可愛いと思うし、好意を向けられればドキッとすることだってある。
髪を結ぶ仕草、リップを塗る指先、笑ったときの目の形。
どれも綺麗だと思う。
けれど、そこから先、たとえば手をつなぐとか、キスをするとか、想像しようとすると、ピタリと止まってしまう。
「はーん、なるほど。俺、とかね」
「まぁ、そうやな」
石橋が意味ありげに顎に手を当てる。
「前田先生とか」
一瞬、心臓が強く打った。
「なんで前田先生が出てくるん?」
「なんとなく。それにあの人、あからさまにお前のこと贔屓してるやん」
「石橋が好かれてないだけやろ」
「え~?」
茶化す石橋の腕を軽く小突いて、教科書とノートを開く。
パラパラとページをめくる音で、少し早くなった鼓動をごまかした。
放課後、数学講師の前田先生に呼ばれた。
「ほら、やっぱり」
石橋の声を軽くあしらい、僕はサンダルをペタペタと鳴らしながら歩く先生の背中を追う。
白衣の下にはきちんとしたスーツを着ているのに足元だけ、いつも便所で使うようなボロボロのサンダルを履いている。
その音が鳴るたび、僕はつい目をやってしまう。
廊下の端にある空き教室の前で立ち止まると、先生は白衣の深いポケットから鍵を取り出した。
遮光カーテンが引かれたままの薄暗い部屋。
先生が電気をつけるのを見てから僕は静かに足を踏み入れた。
「そこ、座って」
言われるまま席につく。
先生は隣に腰を下ろし、少し白髪の混じる頭をぽりぽりと掻いた。
「……今日、分からんって言ってたとこ教えるから、教科書とノート出して」
張りつめていたものが、すっとほどけた。
「なんだ。怒られるのかと思った」
「何を?」
「何をって。……いや、やっぱ、いいです」
先生は何も言わなかったが、視線が一瞬だけ泳いだ。












