「俺は俺だからさ……町田は、俺を見捨てないでいてくれるでしょ?」
軽い調子の言い方だった。
なのに、その一言がやけに重く沈んだ。
「見捨てるわけないだろ」
考えるより先に、口が動く。
「当たり前だろ。なんでそんなこと言うんだよ」
「俺さ」
伊坂が、ぽつりと続ける。
「心も身体も、どこまでが自分なのか分かんなくなってきてる」
シャツの上から触手に触れる。
「コイツの感覚と、自分の感覚の区別がつかなくなるときがあって」
少しだけ笑う。
誤魔化すみたいに。
「町田に会えると嬉しいし、触れられると嬉しいって思う。……すごく」
その言葉に、胸が高鳴る。
どうしようもなく。
単純だと思う。
「でもさ」
伊坂が、まっすぐこちらを見る。
「それって本当に俺かな、って」
息が詰まる。
「どこまでが俺かって考えると胃も脳も触手でさえも全部俺のだって気がしてくるんだ」
伊坂はシャツをぎゅっと握りしめた。
「それに、お前も」
一瞬、言葉を選ぶように視線が揺れる。
「町田なしじゃ、俺が俺じゃなくなる気がする」
言い切ったあと、少しだけ目を逸らした。
――ああ。
そうか。
俺だけなんだ。
伊坂とスルメを、分けて見てるのは。
他のやつには見えてもいない。
伊坂自身も、もう曖昧になってる。
だから、今の伊坂には──
俺がいないとダメなんだ。
「俺は、伊坂が……伊坂をちゃんと見てるから」
“好き”とは言えなかった。
スルメがいなくなった後も伊坂のそばにいたかったから。
伊坂は、ほっとしたみたいに笑った。
スルメはかわいいヤツだ。
伊坂の身体に寄生している事実を除けば、だけど。
だからこそ俺は焦らないことにした。
というより単純に、考える時間が欲しかった。
「スルメ!」
触手が伸びて、軽々とボールを掴む。
放課後、人気のない空き地で、俺たちはよく一緒にいた。
「スルメ!こっち。パス」
ボールを要求すると変な回転がかかっていたのか、取り損ねて顎に直撃した。
「いった」
伊坂がそれを見てゲラゲラと笑う。
「伊坂!次お前だからな」
伊坂が笑う。
最近、よく笑うようになった。
楽しそうで――
だからこそ、嫌だった。
その笑顔が、どこまで伊坂のものか分からない。
キャッチボールをしていると空き地の近くを通っていく人の声がした。
思わずその声の方を振り返る。
伊坂に投げるはずのボールが大きく逸れたのを、触手がキャッチした。
「ちょっと。町田、危ないよ」
伊坂はもう、誰かに触手を見られることなど気にしていないみたいだ。
触手がキャッチしたボールを手に取って手のなかで回す。
確かに、誰にも見えないみたいだから問題はない。けど──
その瞬間。
俺は伊坂を押し倒していた。
伊坂の手からはボールが転がっていった。
「……は?」
ヘラヘラ笑ってる顔。
それが、どうしようもなく俺を不安にさせる。
「無理だ。もう」
口から勝手に言葉が出る。
「お前が伊坂を奪うなら」
触手を掴む。
「――俺が奪い返してやる」
触手を掴む。
ぬるりとした感触。
逃げようとするそれを、力任せに引き寄せる。
「っ、やめ……!」
伊坂の声。
でも止めない。
触手が絡みつき、締め付ける。
腕に食い込むほど。
それでも、離さない。
汗が手を滑らせる。
触手を手の甲に巻き付けてなおも引っ張った。
伊坂の身体が地面をこすり、砂埃を立てる。
「スルメ!お前、俺の言うこと聞くよな!」
さらに強く引く。
指が滑る。
何度も掴み直す。
「だったら――こっち来いよ!!」
一瞬、触手の動きが止まる。
――迷っている。
そう感じた。
その隙に、引き寄せる。
次の瞬間、視界が反転した。
地面に叩きつけられる。
頭が固いものに当たった。
割れるように痛い。
血が流れる。
視界の端で、伊坂が揺れる。
伊坂が俺を見下ろし、視界は伊坂の影で暗くなった。
「いいよ。スルメ、俺をあげるよ。その代わり──伊坂からは消えてくれよ」
触手が、こちらに伸びてくる。
迷っている。
俺か。伊坂か。
だったら。
俺は笑った。
「来いよ」
触手が、俺に絡みついた。
あれからスルメは姿を消した。
伊坂の身体からも。
記憶からも。
それから伊坂は、普通に飯を食うようになった。
前みたいに。
ただ、少しだけ量が多い気もするけど。
「今日さ」
ファストフード店で、ポテトをつまみながら言う。
「俺んち来る?」
なるべく、軽く。
思いつきみたいに。
「今日、誰もいないし」
伊坂は少しだけ考えるような素振りをした。
その反応を見て、今日思い付きで誘った風を装ったが失敗したと確信した。
「いいよ」
伊坂はにやりと笑った。
俺たちはあれからもクラスメイトにいじられ、ついには本当に付き合うことになった。
家に呼ぶのは初めてだ。
部屋に入り、漫画を読んでくつろいでいるといつの間にか、伊坂の頭が膝に乗っていた。
「重い」
「うるせ」
軽く言い合いながら、頬に触れる。
柔らかい。
少しだけつまむと、伊坂が顔をしかめた。
「なんだよ」
身体を起こした伊坂と顔の距離が近かった。
そのまま、キスをする。
短く。
それから、何度か重ねた。
確かめるみたいに。
伊坂が、ゆっくりと横になる。
顔が、赤い。
その上から、のしかかると伊坂は少し目を逸らした。
距離が近い。
息が混ざる。
心臓の音が、重なる。
このまま。
全部、混ざってしまえばいいと思う。
そんな感覚。
「……よかったね」
小さな声。
耳元でささやかれた気がした。
「ああ」
思わず、声が漏れた。
「やっと、手に入る」
俺は伊坂の手を握りしめた。













