「佑、帰ろう」
友人たちと輪になって他愛ない話をしていた放課後、佑の肩に後ろからそっと手が置かれた。
振り向くと、佑規が立っている。口元は笑っているのに、どこか力の入った不自然な笑みだった。
「ちょっと待ってて。……先帰っててもいいよ」
そう言って背を向けた瞬間だった。
制服の襟元が、急に喉を締め上げた。
「……っ」
言葉にならない声が漏れる。
視界が一瞬、ぐらりと揺れた。
気づけば床に背中をつき、上から佑規の手が喉を押さえつけていた。
息が詰まる。空気が入ってこない。
「ちょ、おい……それはあかんって!」
誰かの声が、遠くで響いた。
佑は恐怖も怒りも感じていなかった。
ただ、なぜこんなことになっているのかが分からなかった。
天井の蛍光灯が、佑規の背後から白く光っている。
まるで他人事みたいに、その光を眺めていた。
やがて、ふっと力が抜けた。
佑規は何も言わず、白い鞄を掴むと、そのまま教室を出ていった。
残された教室に、水を打ったような沈黙が落ちる。
「……あいつ、やばくない?」
誰かの小さな声が聞こえた瞬間、佑はもう立ち上がっていた。
校門を出たところで、ようやく追いつく。
息が切れて、喉が焼ける。
「……ごめん」
口から出たのは、それだけだった。
謝る必要があるのかは分からない。
ただ、前を歩く佑規の背中が、ひどく小さく見えた。
佑規は立ち止まり、うつむいたまま言った。
「佑が……他のやつと楽しそうにしてたら、腹立った。……ごめん。嫌わんといて」
「佑規のこと、好きやで。でも俺、みんなとも仲良くしたいんよ」
「……分かってる。ほんまに、ごめん」
声は小さく、少し揺れていた。
自分がしたことに対する動揺なのか、後悔なのかは分からない。
守らなきゃ。
そんな、本能みたいな感情が喉の奥にこみ上げてきて、佑は彼の手を握った。
「大丈夫」
すぐに放すつもりだった。
けれど、離そうとしても、佑規の指は強く食い込んだまま、離れなかった。
夕方の影が、ふたりの足元を曖昧に溶かしながら、並んで伸びていった。
その翌日から、佑規の態度は明らかに変わった。
休み時間にはクラスメイトと話し、笑顔を見せるようになった。
昨日の出来事を、誰も話題にしなかった。
見て見ぬふりなのか。
それとも、彼の“顔立ち”のおかげなのか。
少しだけ、いい気がしなかった。
その感情は、胸の奥に押し込めた。
みんなで仲良くできることが、何よりうれしい。
佑は自分に、そう言い聞かせた。
そして一年が経ち、学年が変わった。
佑は、仲の良かった友人たちと一人も同じクラスにならなかった。
すでに出来上がった輪の中に入る勇気もなく、休み時間は本を盾のようにして過ごすようになった。
けれど、もうひとつ変わったことがあった。
佑規に触れられることが増えた。
帰り道は相変わらず一緒で、自然と彼の家に寄る流れもできていた。
ある日、帰り道で佑規が手を差し出した。
「つないでもいい?」
人目がある。
「……部屋の中やったらいいよ」
そう言ってしまったのが、始まりだった。
部屋の中で手を繋ぐことは、最初はただの“友達の延長”みたいに思えた。
けれど、次第に指先は耳や髪へ移り、
やがてシャツの裾を持ち上げて、背中を撫でるようになった。
「……もうやめろってば」
本気で拒否しているはずなのに、声には力が入らなかった。
なぜ突き放せないのかは分からない。
ただ、求められていると感じると身体の一部が熱を持つのが分かった。
ある日、佑規が急に言った。
「なぁ、佑。BLって知ってる?」
「なにそれ」
「……ふふん、やっぱ知らんよな」
にやにやと笑うその表情が、白い部屋に妙な影を落とした。
その奥に、触れてはいけない“何か”が潜んでいる気がした。
「知りたい?」
「……いい」
その場では断った。
けれど後日、休み時間に女子たちがBLの話をしているのを耳にして、妙に腑に落ちた。
──そういう意味だったのか。
それから、佑規に触れられるたび、胸の奥がざわつくようになった。
中学二年の秋。
受験生という言葉が、まだ遠くで鳴っている頃。
二人は佑規の部屋で、ホラー映画を観ることになった。
佑はホラーが苦手だ。
風呂場のタオルが風で揺れただけで、ファイティングポーズを構えるくらいには。
それでも、怖いもの見たさは止められなかった。
映画が始まると、佑は自然と佑規に寄り添って座った。
女の幽霊が叫んだ瞬間、身体が跳ね、次の瞬間にはベッドに潜り込んでいた。
布団を頭までかぶり、耳を塞ぐ。
ベッドが、ぎしりと鳴った。
佑規が覗き込み、布団をめくる。
「どうする?もう見んとく?」
「……無理」
「おっけ。じゃあ違うの見よ」
そう言って腰を上げようとした、そのベルトループを、佑は自然と掴んでいた。
「なぁ……また首絞めてもいいよ」
佑規の表情が固まったのを見て、佑は思わず目を逸らした。
「……やっぱ、冗談」
佑は恥ずかしさで顔を上げられなかった。けれど指だけは佑規のベルトループを掴んだまま、しばらく離すことができなかった。
あの時、佑規は困ったような表情で笑っていた気がする。でも、その後の記憶はすっぽりと抜け落ちている。












