逆上がりの試験が終わった日の夕方、佑は加川からメッセージを受け取った。
『上村くんのおかげで、無事に単位取れそうです!』
丸っこいキャラクターがピースしているスタンプが添えられていて、いかにも加川らしい。
最近は授業でもよく隣同士になって、他愛もない話をすることが増えた。
その距離は、ただの同じ学部生の枠を少し越えている。
“個人的な関心”の温度が、こちらへ向けて少しずつ熱を上げている──そんな気配がする。
好かれてるんやろな。
そう思う瞬間は何度もあったのに、不思議と胸の奥が跳ねるのは、別のところだった。
バイト先の休憩室で、修が不意に佑の手を掴んだ。
「おい、佑。ついてこい」
「どこ……いっ、痛っ──」
鋭い爪が手の甲に食い込み、ひゅっと熱が走る。
反射的に佑は息を呑んだ。
「痛いって」
その反応に、修は目尻を緩めて笑った。
楽しげで、どこか安心しきった子どものような笑いだった。
「……どこ行くん?」
まだ爪を立てられたまま問い返すと、修は肩をすくめる。
「やっぱお前おかしいって。普通こうされたら怒るねんで?」
佑はその言葉に「そりゃそうだろう」と思いながらも、怒りは湧かない。
むしろ胸の奥がざわついて、じんわり熱を帯びていく。
拒否するのが“普通”。なのに「こんな俺でもお前は離れんよな?」と、試されている気がして──それに応えられていることが嬉しくさえ感じる。
──普通じゃない。
その自覚だけが、胸の奥で鈍く光っていた。
「なあ佑。俺とおると楽しいやろ?」
挑むようで、確かめるようで、逃げ場を塞ぐ声音。
修はまっすぐに佑の返事を待っていた。
「……楽しいよ。痛いことするけど」
その言葉に修はにやりと口の端を上げる。
満たされたような顔だった。
その顔を見るだけで、佑の内側がふっと満たされていく。
今、自分の中をいちばん占めていくのは、修だ。
最近の修は、独占欲を隠さない子どものように、何をするにも佑を連れ回し、人形みたいに自分のそばへ置いた。
更衣室で他愛もない会話をしていた時も、笠松が近づいてきたのに、修はそちらに目も向けず、当然のように佑へ身体を寄せる。
「なあ佑、ジュース奢って?」
肘が軽く肩に乗る。
「なんでよ」
「ええやん。180円くらい」
「そう思うなら自分で買えよ。てか180円ってちょっといいやつ買おうとしてるやん」
「ええやん別に」
二人の会話の中に割って入れず、笠松は何も言わず休憩室へ戻っていく。
そんなことが何度も続き、いつからか笠松は佑たちと昼食をとらなくなった。
最近は中年の男性職員と静かに昼を食べている。
かつての陽気さが少し影を潜めていて、その理由が自分たちにあることを佑はうっすらと察していた。
修は気づかない。
そして不思議と、佑も気にしていなかった。
修と話しているだけで、周りの音が遠のいていく。
自分の世界がゆっくりと、傾いていく。
修には俺がいないと──。そう思うほど、佑の世界は修の存在で埋め尽くされていく。
それが救いなのか、檻なのか、もう考えないことにした。













