教室に戻るまでの間、俺は伊坂に質問をぶつけ続けた。
「なんで俺、そいつのこと見えんの?」
「知らないよ」
「なんで俺、そいつに好かれてんの?」
「知らない」
「ていうか今触手どうなってんの?」
「腹に巻いてる」
「どうやって?見せて」
間髪入れずに言うと、伊坂は露骨に嫌そうな顔をした。
「……しつこい」
「気になるだろ普通」
しばらく黙ったあと、伊坂は小さくため息をついた。
「言っとくけど、コイツの話は二人の時しかしないでくれ」
「え?」
「他のやつには見えてないって言っても、万が一があるだろ。俺だって、どうしたらいいかまだ分かってない」
少しだけ不安の混じったような声だった。
俺は肩をすくめる。
「じゃあ一緒に考えていこーぜ」
軽い調子で言ったつもりだった。
けれど、伊坂は階段の途中で足を止めた。
数秒黙ると、ぽつりと呟いた。
「……お前でよかったよ」
思わず顔を見る。
伊坂は視線を逸らしたまま、階段の死角に入った。
「ちょっとだけな」
そう言ってシャツをめくる。
思わず息を飲んだ。
触手が、絡みついている。
腹から胸にかけて、ぬらりとした腕が何本も巻きついていた。
まるで、身体ごと縛り上げているみたいに。
白い肌には、ぽつぽつと赤い跡。
吸盤の跡だ。
やけに生々しくて、目が離せない。
「なんか──」
エロい、という言葉が浮かんで、慌てて飲み込む。
「痛そうだな」
言い直しながら、自分の顔が少し熱いのに気づく。
伊坂は苦笑した。
「実際ちょっと痛いよ。もう慣れたけど」
そのとき、触手がわずかに動いた。
きゅ、と締めつけるように絡みついて、伊坂が小さく息を漏らす。
「……っ」
一瞬歪む表情。
それがやけに色っぽく見えて、視線を外せなかった。
「触っていいか?」
気づけば、そんなことを口にしていた。
そのときだった。
上の階から、くすくすと笑い声が聞こえた。
振り向くと、クラスメイトが数人こちらを見ている。
「お二人さん、何してんのー?」
「いいところだったのに」
「町田のエッチー!」
好き勝手言いながら、笑って走り去っていく。
数秒の沈黙。
……今の状況を整理する。
階段の死角。
シャツをめくってる伊坂。
それを覗き込んで、手を伸ばしかけていた俺。
「……」
完全にアウトだ。
とんでもない誤解を受けたことに気づいて、慌てて伊坂を見る。
(俺がエッチなのに関しては事実だけど)
伊坂も俺以上に焦った顔をしていた。
「だ、大丈夫だって」
俺は慌てて言う。
「あの様子じゃ触手のことは見えてないみたいだし、俺が誤解解くから」
あの後は散々だった。
「腹の音がうるさかったから見てただけ」
という苦しい言い訳は、余計に怪しまれた気がする。
弁当も食べ損ねて、腹が鳴るのは俺の方だった。
しかも伊坂には思いっきり睨まれるし。
本当のことを言えないって、思ってたより面倒だ。
──そして今日の昼休み。
伊坂はやっぱり体育館倉庫に行くらしい。
ついていくと言ったら断られた。
「昨日みたいなことがあるかもしれないから」
というのが理由だそうだ。
それでも、昼食代を半分出すと言ったらあっさり折れた。
これは断られることを想定して、財布に多めに入れてきた俺の戦略勝ちだ。
パンやおにぎりを買い込み、二人で倉庫へ向かう。
中に入ると、伊坂は俺に背を向けた。
「なんだよ。もう知ってる仲だし、普通に食おうぜ」
「……食うとこ見られるのは、普通に恥ずかしいんだよ」
少し肩をすくめる。
「たぶんコイツもそう思ってる」
「へぇ。意外と繊細なんだな」
そう言いながら弁当を開く。
シャツの中で、何かがもぞもぞ動いているのが分かる。
見えない分、勝手に想像が膨らむ。
落ち着かなくて、視線を弁当に落とした。
「伊坂は食べないの?」
「俺は……コイツが食べたら腹いっぱいになるから」
「え?」
「だから最近、飲み物しか口にしてない」
「それ、虚しくね?」
弁当に入っていたイチゴを箸でつまむ。
「これやるよ。ほとんど水分だから──」
言いかけた、そのとき。
ぬるり、と。
一本の触手が伊坂のシャツの隙間から伸びてきた。
迷いなく、まっすぐ俺の方へ向かってくる。
「いや、お前にじゃなくて伊坂にだって」
言い終わる前に、腕に巻きつかれる。
びく、と身体が強張る。
触手はイチゴを絡め取り、そのまま持ち上げた。
伊坂がそれを見上げ、口を開く。
ぐしゃ、と潰れる果実。
赤い汁がとろりと落ちる。
それを受け止めて、喉が動く。
ごくん。
口元についた赤を指で拭い、舐める。
その仕草に、息が詰まった。
妙に色っぽい。
なのに、どこか自分の意思じゃない、操られているみたいで。
ぞわ、と背中が粟立つ。
「美味しい」
低く、甘い響き。
その光景に目を奪われていた、次の瞬間。
触手が、頬に触れた。
吸盤が、ぴたりと吸いつく。
「……!」
反射的に、手で払いのけようとする。
けど、ほんの一瞬だけ、動きが遅れた。
その隙に、もう一本が腕に絡む。
じわ、と締めつけられる感覚。
ぞく、とした。
「待っ──」
「うぁ!」
伊坂の短い悲鳴と同時に、触手が一斉に動いた。
身体が壁に押しつけられる。
逃げようとして、足がもつれる。
触手が服の上から肌をなぞる。
くすぐったい。
――だけじゃない。
触れられたところだけ、妙に感覚が敏感になる。
「やば……」
思わず声が漏れる。
すぐに口を閉じる。
何言ってんだ、俺。
「やめろ……!」
伊坂が苦しそうに声を出す。
見れば、触手を俺から引き離そうと引っ張っている。
けれど、止めきれていない。
その表情が、少しだけ歪んでいた。
俺が、止めるしかない。
「これ以上やったら──」
言いかけて、息を吸う。
「お前のこと嫌いになる」
はっきりと言った。
その言葉を選んだのは咄嗟のことだった。
けど、俺にしてはナイス判断だったと思う。
その瞬間。
触手がぴたりと止まった。
そして、ゆっくりと離れていった。
身体から力が抜けて、その場にへたり込んだ。
心臓が、うるさいくらい鳴っている。
横を見ると、伊坂も同じようにへたり込んでいた。
「大丈夫か?」
「……そう見えるかよ」
少し荒い声。
自分でもその声に驚いたように伊坂は口をつぐむ。
それから小さく言い直した。
「……いや、大丈夫」
そしてぼそりと呟く。
「町田といると、コイツが暴走するから嫌だ……」
その言葉が胸に引っかかる。
俺は、わざと笑った。
「でもさ、止まっただろ」
伊坂がこっちを見る。
「俺の言葉で」
確証はない。
でも――確信はあった。
「俺ならコイツを抑えられる」
触手が触れた場所を無意識に触っていた。
この関係を、手放したくない。
伊坂はやっと、小さく笑った。
「……お前、タフだな」













