あれ、あいつの身体からなんか出てね?
そう思ったのが昨日。
そしてさっきの授業中。
目の前の席に座る伊坂の制服のシャツが少しめくれて、その隙間から触手みたいなものがひょこ、と顔を出した。
いや、顔じゃないな。
蛸の腕のような吸盤がある。腕か。
しかも──こっちに向かって、手を振るようにうねっている。
一瞬、息が止まった。
思わず周りを見渡す。
けど、誰も気づいていない。
ノートを取ったり、ぼんやり黒板を見たり、いつも通りの授業風景だ。
どうやら、見えているのは俺だけ──。
もう一度、伊坂の方を見る。
触手がまたひょこ、と顔を出す。
──俺を見ている?
そう思った瞬間、ぞわりと背筋が粟立った。
「……ちだ」
「町田」
名前を呼ばれて顔を上げると、伊坂がこちらを見ていた。
思わず「うおっ」と声が出る。
「次の小テストのさ──って、なにその反応。何か良からぬことでも考えてた?」
目を細めて、にやりと笑う。
いつもの伊坂だ。
そのはずなのに、さっき見たもののせいでどこか違うものに見えてしまう。
「いや……良からぬことっていうか」
少し迷ってから、口に出した。
「なんか、お前から変なの生えてね?」
言った瞬間、伊坂の表情が固まった。
完全に「こいつ何言ってんだ」って顔だ。
「あ、いや」
慌てて言い直す。
「そういう夢を見たって話」
言いながら、ああ夢じゃないなと思う。
だって今も、伊坂の背中側──シャツの隙間から、さっきの触手がひょこひょこと動いているからだ。
俺がそこを見ていると、伊坂がはっとしたように振り返った。
その瞬間、触手はすっと引っ込む。
まるで、隠れるみたいに。
「町田って霊感ある?」
伊坂が、鋭い目でこちらを見る。
軽口をたたくような空気じゃない。
見たことのない顔だった。
思わず唾を飲み込む。
「ないけど。それ、なに──」
「死ぬんだよ。近いうちに」
その言葉はゆっくりと脳内を一周した。
全く意味が分からない。
でも、伊坂の表情から冗談の類ではないと思った。
「……マジ?」
それしか言えなかった。
昼休み、伊坂は最近どこかへ消える。
あの触手と関係がある気がして、俺は弁当を持って後を追った。
伊坂は購買で、パンを五種類、サンドイッチを一つ、おにぎりを三つ抱えて、階段を降りていく。
細い身体に似合わない量だ。
あれ全部食うのかよ。
――それとも、食わせてるのか。
やっぱり伊坂は触手と無関係とは思えない。
まだ俺の知らない伊坂がいる。
そう思うと、妙に胸がざわついた。
伊坂が体育館倉庫に入ったのを確認してから、俺はそっとドアを開けた。
中は薄暗い。
先に入ったはずの伊坂の姿は見えなかった。
「伊坂……?」
声を出した、その時。
倉庫の隅、古いマットが積まれた陰から、伊坂が立ち上がった。
「町田!?」
驚いた顔。
けど、それより先に、目に入ってしまった。
──触手。
無数の触手が、伊坂の腹に開いた巨大な“それ”を囲うようにうねっている。
……穴?
いや、口だ。
ヒマワリの種みたいに並んだ無数の歯が、パンを噛み潰している。
ぬちゃ、と嫌な音がした。
吸盤のついた触手が、器用に食べ物をつかんで、そこへ運んでいく。
現実感がなさすぎて、足が一歩後ろに下がる。
その瞬間。
「ダメだ!」
伊坂の焦った声が響いた。
気づけば、視界が揺れていた。
尻餅をついた俺の上に、伊坂が覆いかぶさる。
ぬるり、とした感触が頬に触れる。
それはただ触れただけじゃなく、確かめるみたいにゆっくりと頬をなぞった。
あの触手だ。
頭を包み込まれると、目の前には不気味な口が開いていた。
──死ぬんだよ。
さっきの言葉が頭をよぎる。
俺はぎゅっと目を閉じた。
終わる、と思った。
ポタ。
何かが、顔に落ちる。
ゆっくり目を開けると、口の奥、管みたいなところから透明な液体が垂れていた。
その瞬間、身体の力がふっと抜けた。
怖いはずなのに。
逃げなきゃいけないのに。
頭がぼんやりして、呼吸が浅くなる。
心臓が、変な速さで鳴っている。
身体が、じわじわと内側から熱を持って──
気持ち悪いはずなのに、その感触がやけに心地良い。
身体が、おかしい。
しばらくして、触手が離れた。
伊坂が身体を起こす。
息が、少し荒い。
「……なにこれ。どういうことだよ」
なんとか声を出す。
「お前、取り憑かれてんの?」
「俺にも分からない」
伊坂は首を振った。
「帰り道に、赤いビー玉を拾ったんだ」
ぽつり、と言う。
「持ったら、脈打ってるみたいで。なんか、手放せなくて」
そんな怪しげなもん拾うなよ。
思ったけれど口は挟まないことにした。
「家に持って帰ったんだけど、次の日、割れてて──気づいたら、これがいた」
伊坂は立ち上がり、腹のあたりをちらりと見る。
今、触手は出てきていない。
シャツの中にどうやって収まっているんだろうか。
俺は伊坂の腹から目が離せないまま、差し出された手を握って、身体を起こす。
「さっき伊坂が“死ぬ”って言ってたの、俺がこいつに殺されるってことか?」
俺が言うと、伊坂は少し黙ってから首を振った。
「たぶん死ぬのは俺の方」
「は?」
「日が経つごとに、コイツの感覚が何となくわかるようになってきた。段々、その感覚が大きくなって……
そのうち、俺じゃなくなる日が来るんじゃないかって、なんとなくだけど、そう思うんだ」
その言葉に、胸の奥がざわついた。
怖い、というより。
──それでいいのか、って。
そんな考えが一瞬よぎって、顔が歪んだ。
「……怖いだろ」
伊坂はそう言って無理矢理笑うように口角を上げた。
「まあ、こんなの聞いたことも見たこともないし、実際そうなるかは分かんないんだけど」
沈黙が落ちる。
何か言わなきゃいけない気がして口を開いたものの、言葉は出てこない。
「あと」
伊坂が続ける。
「俺、コイツの感覚、なんとなく分かるって言ったでしょ」
伊坂は少し顔を赤くした。
「コイツ、お前のこと好きみたいだ」
「は?」
一瞬、言葉を探すように下を見て、それからはっきりと言った。
「なんていうか、性的に」
その言葉に反応するみたいに、
伊坂のシャツの下で触手がもぞもぞと動いた。
ぞわ、と背筋が震えた。
「……マジ?」
ちょうどその時、予鈴が鳴った。
それどころじゃなかったから、弁当はまだ一口も食べていない。
「……教室、戻るか」













