僕は小説を書いている。
そのことを今まで誰にも打ち明けたことはない。
何より周りから〝変〟と言われている自分の内側のことなんて誰にも理解されないだろうし、自分で読み返してみてもこんなものを読まれるくらいなら裸を見られた方がマシだ、と思っていた。
自分の内側なんて誰にも知られたくない───
けれど誰かに知ってほしい。
そんな馬鹿なことを考えたのがいけなかったのだ。
平日の夕方、人気の少なくなった喫茶店。窓の外は冬の風が吹いている。
テーブルを挟んで向かいに座る葛木さんは脚を組み、僕のノートを数秒見つめると、パラパラとページをめくり、少し口角の上がった口でコーヒーをすすった。
「浩一くん、いつもこんなこと考えてんの?」
片手にコーヒーを持ったまま、雑にページをめくって鼻で笑う。
「こういう変わっているところ、僕に見せてくれていいからね」
そう言って僕の前にノートを置いた。
すかさず僕はそのノートを鞄に入れて、赤くなった顔を悟られないようにホットレモネードのカップを出来るだけ顔に近づけてゴクゴク飲んだ。
葛木さんは会社の経営者であり、小説家としても活動している。
葛木さんとは、とあるサイトで知り合い、僕も文章を書くと伝えると、自然と距離が縮まった。年齢は五つ上。
ネット上でやり取りしている時の言葉選びが丁寧で、慎重だった。それが安心感につながっていた。
なにより、僕と同じ立場にある人。それだけで、信用できる気がしてしまった。
けれど──
実際に会った彼は、想像していた姿とは全く違っていた。
引き締まった身体に、それが分かる服装。平気で人に"変わっている"とハンコを押せる人。
誰にもカミングアウトできないで、仮面を被ったまま生きている僕とは真逆の人間のように思えた。
「会社にジム作ったんだ」
そう言って写真を見せてくれる。
途中で、仕事の電話が入ったと、彼はもう1台のスマートフォンを手に席を立った。
「他の写真も見てていいよ」
残されたスマートフォンに、ふと視線が落ちる。
暗くなりかけた画面をタップし、スワイプする。かなりちゃんとした器具のあるジムの写真に、トレーニングシャツを着た葛木さんの後ろ姿。
そして次にスワイプした時──
おそらく葛木さんが鏡の前で裸で自撮りをしている写真が出てきた。
僕は慌ててスワイプし、元の画像に戻した。
見てはいけないものを見た、というより、
彼の本質的な部分を"知ってしまった"という感覚に、胸が早鐘を打った。
戻ってきた彼は、さっきまでの続きを楽しそうに話したけれど、僕はうまく相槌が打てなかった。
「ねぇ、僕らって同じクラスにいたとしたら仲良くなっていたと思う?」
「……あんまり、想像できません」
「だよね」
自分で言っておきながら〝だよね〟という言葉に少し傷ついた。
「じゃあさ、僕みたいな男をかっこいいって思う?」
「それは……思います。かっこいいと思います」
仮面を被った僕は、彼が求めているであろう言葉を口にした。
葛木さんは薄く笑った。
「まだ緊張してるね?緊張をなくすためにも敬語はやめてくれないかな?」
場所を変えようと言われて入った店は、水槽の光が静かに揺れるレストランで、僕が入るには場違いな雰囲気があった。
「水槽は炎を見るよりも落ち着く、だっけ?さっきのノートに書いてあったよね。どう?落ち着く?」
少し馬鹿にしたような言い方に聞こえた。
けれど、そんなことはどうでもよくなるくらい、落ち着くどころか、周りを見渡せばカップルばかりで居心地が悪い。
顔を覆いたくなってずっと下を向いていた。
席に案内されると、二人掛けのソファのような席で隣の席とは薄いカーテンで仕切られている。
葛木さんとの距離が近くて、身体が強張る。
ドリンクが先に運ばれてきて、視線をあげた時、葛木さんに肩に軽く触れられ、視線で促される。
向いた先にはカップルが座っていて、物凄くイチャイチャしていた。
葛木さんの目が、じっと僕を見る。
カップルの光景と、葛木さんの目線と、自分の逃げ場のなさが重なって、うまく断る言葉が出てこなかった。
差し出された彼の手に触れると、周りには見えないようにマフラーの下で指を絡めてきた。
暖かくて、僕より少し大きくて、ゴツゴツとしていて──気持ち悪い。
「葛木さんは、僕と──その、手をつなぐ以上のこと、したいと思いますか?」
葛木さんは何と答えるか考えているようだった。
葛木さんが口を開きかけた時、僕は先手を打つべきだと思った。
「僕はそういうつもりはないので。前にお伝えしていた通り、僕はそういうのはしたくなくて。ただ…」
言葉が詰まった。
本当は、葛木さんが僕が思い描いていた通りの人であれば色んなことを話し合いたかった。相談したかった。
それで────?
葛木さんの方を見られなくて水槽の魚を見つめた。
彼は僕の頭に手を置き、静かな声で言った。
「僕は相手の嫌がることをするつもりはないよ。こうやって手もつなげたからそれで十分嬉しい」
その言葉にほんの少し緊張の糸が解けたのは確かだった。
その後は好きな映画の話をしたり、好きな漫画の話をした。
彼は意外にもディズニー作品が好きで、「意外でしょ」と笑った。
僕はディズニーに興味はなく、アニメ映画であればジブリ作品の方が好きだったので、やっぱりこの人とは根本的に合わないな、と思って笑った。
葛木さんは身体が大きい割に少食だった。
僕はまだ少し食べ足りなかったけれど、彼が食後の珈琲を頼むのを見て、倣うように紅茶を頼んだ。
「浩一くん、やっぱり変わってるね」
そんな声が聞こえた気がしてふと目を開けると、視界の端で僕のノートを手に寛ぐ葛木さんの姿があった。
なぜか横になっている僕は上半身を起こそうとしてふらつき、ベッドの上に倒れた。
「え?……なんで……」
「びっくりだよね。浩一くん寝ちゃったから、ここまで運んできたんだよ。きみ、見た目のわりに重いね」
僕の頭は混乱から次第に恐怖へと変わった。
「〝仮面を被った僕は、夜になると〟……」
「ちょっと!もう、それ読むのやめてください。返してください!」
今度は、恐怖よりも羞恥が頭を支配した。
やっぱりあのノートは家で眠らせておくべきだったんだと思った。
少なくともこんな人に読んでほしくはなかった。
葛木さんはノートを僕の鞄の上に放り投げると、僕の頬を撫でた。
恐怖と嫌悪で身体が固まり、閉じた口のなかでは歯がガチガチと音を立てた。
「敬語やめてって言ったのに、全然やめてくれないね」
セーターの下のシャツがめくられ、彼の手が肌に触れる。そして閉じた唇の上を彼の舌が這う。
「いや……!…あ!」
身をよじって逃げようとしたけれど、体格差があって普段からジムで運動をするような人に敵うはずがなかった。
ズボンは膝下まで下ろされ、腕はセーターで固定された。
とうとう僕は身動きのできない状態になった。
「浩一くん、したことないね?」
「ないです!」
「嫌?」
「嫌です!やめてください!」
「でもさー、浩一くん本当は?」
僕は思わず目をそらした。
「‥‥‥怖いです。やめてください」
葛木さんは聞く耳を持たず、ローションをたっぷりと手に取り、僕の陰茎に触れる。
「うわ…あ……」
初めての感触に身体全体がブルっと震えた。
分かっている。
恐いと気持ち悪いの奥に期待があることは。
葛木さんの手の中で、ムクムクとそれが膨らんできている。
僕は男が好きだ。
けれど男に触れられるのは気持ち悪いと感じる。
というか、誰にも触れてほしくない。
触れられると身体の奥がぞわぞわして、今すぐここから立ち去りたいという気分になるのだ。
でも、今わかった。
気持ち悪いのは僕自身だ。
僕の内側が一番気持ち悪いことを僕が一番知っているから、それを知られるのが怖いのだ。
葛木さんの手は僕の陰茎を何度も擦った。
「やめてやめてやめて……!イッ……あっあぁ……」
射精と同時に僕の頬に涙が伝った。
「浩一くんはいつも仮面を被っている。あのノートの中でさえも取り繕おうと必死だ」
葛木さんは手の甲で僕の涙を拭った。
「でも、僕には分かるよ。きみのノートには欲望と葛藤が書いてある」
その通りだった。
触れられるのが嫌だと言いながら、よく犯される夢を見る。それも酷く。
そして自己嫌悪する。そんな自分を知られたくなくて、仮面を被る。
葛木さんはローションをまた手に取ると、もう一度僕の陰茎に触れた。
またすぐに反応してしまう。さっきよりも緩い刺激に自然と腰が揺れる。
「嫌……」
僕がそう口にすると葛木さんは薄く笑った。
「どうしても本心を否定したいんだね」
刺激が強くなって、もう何も考えられなくなる。
ああ、もう──
腹の上に二度目の精液が落ちて肩で息をする僕の陰茎を葛木さんはまた掌で包み、そして亀頭を擦った。
僕はその刺激に声も出ず、思い切り身をよじろうとしたが、彼の体重がかかって身動きが取れなかった。
「やめっやめて!もうイッたから!……ムリってば!」
痛いぐらいの大きな刺激をどこに逃がすこともできない。
けれど、僕の頭はもっと欲しがった。
葛木さんも手を止めなかった。
ヤバいと思った時にはもうそれを止めることはできなかった。
僕の腹の上に水たまりができ、シーツをも濡らした。
「潮だ」
葛木さんは短くそう言って彼の手についたそれを舐めて笑った。
僕は呆然としていた。
身体が自由になってもまだ呆けていた僕に葛木さんは言った。
「ありがとう。楽しかったよ」
葛木さんの車で最寄りの駅まで送ってもらう途中、彼は言った。
「で、次いつ会う?次はもっと凄いこと、したいでしょ?」
ああ、もっと暴かれたい。
彼の手で僕のすべてを暴いてほしい。
僕が望んでいたのは最初からこれだったのだろうか。
僕は自分の噓と本心が分からなくなった。
ーENDー












